みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

バイクに乗るということ(2016年5月20日)

バイクが壊れた。今のパートナーと付き合っていなければ絶対買わなかったと思う代物だ。だいたい他の車は鉄の壁で守られた状態でいるそばを、ほぼむき出しの生身の人間が時速何十キロものスピードですっとんでいくなんてことが国に許されているということからして不思議でならない。死にたい以外の理由で乗る必要があるのだろうか。
経済学的観点から見れば自動車というものは完全に負債である。購入時から資産価値は下がる一方だし、車検、整備(修理)費、保険料、ガソリン代、駐車場代等が継続してかかる。かといって電車代わりに使えば安いかと言えばそうとも言い切れない。駐車代がかかるからだ。しかも都市部にはバイク専用の駐車場なんてそうそうないし、場所をとるので自転車のように道端に無造作に留めることも難しい。
利便性という観点からも疑問が残る。まず、東京で生活していれば仕事で使わないなら自動車はほぼ必要がない。都心の道路はほとんどいつも渋滞しているし、車に乗らなくても電車やバスがくまなく普及しているから、どこに行くにも困らないのだ。googleマップで調べて車で行った方が早いと出たとしても、渋滞していて結局電車の方が早かったなんてザラである。
これだけリスクがあるくせに免許を取得するまでに30万はかかるというのだから驚きである。私の場合運動音痴で教習所の技能研修をダブりまくりったため40万以上かかった。人の話を聞かない高飛車で理不尽な教官と進まない教習、プランを甘く見積もったせいでダブる度にかかる追加費用で心が折れそうになった。普通自動車免許とは全く別の免許なので、普通自動車免許ほど就活や転職にも役立たないと思われる。
ここまでは免許取得までにわかっていたデメリットだったが、乗り始めてからやはり割に合わないという気持ちが増してきた。非常に心苦しいことであるが、公道を走っている車が全然道路交通法を守っていないのだ。例えば空いている道で制限時速40kmの道をみんな60kmで走っている。一度に二車線変更してきたり、ウインカーを出しながら進路変更してきたりする。頭がおかしい。
そう、理論的に考えればバイクに乗るメリットなど存在しない。それなのになぜ私が総額約60万(今日修理に出したのでこれからもっとかかる)も出して今バイクに乗っているかというと、「このまま合理的に金を使い続けても自分はこれ以上幸福になることができないのではないか」と感じ始めたからだった。散々書いてきたとおり、バイクとは不合理の塊である。どんなに丁寧に手入れをしても乗るほどに資産価値は下がり続けるし、いつか部品が手に入らなくなって乗れなくなってしまう。乗った分だけ資産価値が下がるなんて、こんなに悲しく献身的なものがあるだろうか。乗った分の走行距離は、それでしか代えられない思い出になる。それだけだ。バイクは「合理的に金と時間を使えばその分多くの満足感が得られる」という私の価値観を変えつつある。バイクに乗らなければわからなかっただろう。異様に低く前傾姿勢を強いられるハンドル、ナビを積む余裕のないハンドル周り、座る人のことを全然考慮していないカチカチのシート、狭すぎて何も入らない荷物入れ、2時間も乗ると手が痺れてくる酷い振動。しかし乗れば乗るほどもう乗れなくなるのに私のために走ってくれる。その全てを含めて『バイク』なのである。バイクはバカが乗るものだ。バカになるために乗るものだ。だからこそ、バイクなのだと思う。