【目玉焼きの作り方】
フライパンに油を多めに引いてフライ返しでのばし、中火で熱くする(火はずっと中火)。
卵を割り入れて(高いところから落とすと黄身が割れる)、
白身の底が固まって黄身が固まった白身の上に乗っているような状態になったら(固まる前に水を入れると白身がぐちゃぐちゃになる)、
卵にかからないように大さじ1くらいの水をフライパンに入れて(卵に水がかかると白身がぐちゃぐちゃになる)、
ふたをして1分30秒くらい焼く(焼けてなかったらもう少し焼く)。
フライ返しで底からこそげとって皿に盛り(本当は焦げ付かないフライパンを使ったほうがいい)、
黄身に塩とこしょうをひとつまみずつかけて(後述)
全体にしょうゆをかけて完成する(おいしい)
これはうちの目玉焼きの作り方だが、目玉焼きの作り方はたくさんある。
タイ料理のガパオライスに乗っている目玉焼きは黄身が完全に生だ。ふたをしないのだろう。
逆にわざわざひっくり返してまで両面をがっつり焼く焼き方もある。黄身がつぶれてしまうが、一度やってみたら全体がカリカリしていてこれはこれでおいしかった。
うちの目玉焼きは俗にいう蒸し焼きだが、蒸し焼きは黄身が白っぽくなるので何となくいやだという人もいる。
几帳面な人は型に入れて焼いたりもする。
かける調味料も人によって違う。
しょうゆ。ソース。ラー油。塩。無。おしゃれな人はハーブをかけるかもしれない。
私が塩とコショウとしょうゆをかけるのにはちゃんとした理屈がある。
卵は水をはじくので、焼いた卵の上からしょうゆをかけるとはじいてしまい、底のざらざらした面になじんだしょうゆの塩分に頼ることになるのだが、そうすると上のほうに位置している黄身にしょっぱさがいかない。そこで黄身には白身とは別に塩コショウをしておくことで、全体が同じくらいの塩分濃度になるということだ。これ以外の食べ方で食べると何となく物足りない。
日常の中で何度も繰り返されるパーソナルな行為には、積み重ねられたジェンガの傾きのような危うさがある。
みんな同じ人間だという顔をして生活しているのに、同じ行動について全然違うことをしていたりする。同じ動作を何百回も何千回も繰り返しながら、自分の中で『理屈』が強化されていく。どんどんどんどん傾いていく。その傾きが嫌でも目に付くからこそ、人間が一つ屋根の下に暮らすのは大変だということになるのだろう。
得意料理をきかれて恥ずかしそうに「目玉焼きです」と言う人がいる。
おそろしい人だ。そんなことを言うのは危険だ。
目玉焼きには正解がない。「誰が食べてもおいしい目玉焼き」は存在しない。
誰でもできる、何度でもできることについて言及するときは、最も慎重にならなければならない。概念の上の話を越えて、目の前にいる人の歴史にまで言及することになるからだ。