みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

声の言いまつがい(2017年4月21日)

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 風邪をひいて喉を痛めてしまい、声がうまく出なくなったという経験は、多くの人が一度は経験したことがあると思う。今の私がそれである。かすれて声が出にくい。

 小学生のとき、ディズニーランドが大好きな子が休日にディズニーランドで騒ぎすぎたせいで声が出なくなり、学校でずっとささやき声で話していたことがあった。学校ぐらいだったらまあ何とかなるが、大人になって声が出せないと話にならないような仕事(接客やオペレーター等)をしていると、鼻水や熱よりも事態は深刻になる。働けなくなってしまうのだ。

 仕事以外で声が出ないとどう不便かというと、まず電話ができない。メニューが指し示せる位置にない店では注文できない。何かびっくりしてすぐに指摘したくてもできないし、面白いことを思いついても言えない。相手の話を部分的に否定することが難しい。危険が迫った時に助けを呼べない。複数名で会話している時についていけない。などという不便が起こる。

 声でのコミュニケーションは、あらゆるコミュニケーションの中で最も伝達速度が速い。あまりにも速すぎるので、言い間違いや「口が滑る」というようなミスが起こりやすい。メールなら書きだした文章を目で確認してから送信できるが、一度口に出してしまった言葉はもう口の中に戻すことができない。しかし、そのミスにこそその人の癖や習慣などのが見えるので、発話でコミュニケーションがとれないと、人としての個性の発露の機会を大きく失ってしまう。

 現在はタブレットや端末で使える筆談や読み上げのアプリが発達してきており、昔に比べたら声が出なくてもそれなりの速度でのコミュニケーションがとれるようなった。とはいえ、前述の言い間違いの問題は解決していない。その人らしい間違い方をするような余地がある代替コミュニケーション手段がないものだろうか。やっぱり、頭の中で考えていることをそのまま投影するようなシステムしかないのか。しかしそこまでいくと、今度はその人が「言いたいこと」と「言いはしないけど頭の中で思っていること」と「話の筋と関係ないが突然頭をよぎったこと(金魚のエサ買ったっけ?等)」がごっちゃになって、結局何が言いたいのかさっぱりわからなくなるのではないか。難しい。声での会話は、やはり代えがたい。