みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

ビタミンブック(2017年5月5日)

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図書館での仕事中、本棚や新刊案内で気になった本は書名と分類番号をメモ帳にメモしておく。

書名や著者名や内容紹介で面白そうだと思う本が1000冊に1冊。手に取ってはザッピング(本の小口に親指を当ててページをめくり、5秒くらいで内容を確認する。これで面白くなさそうなら読まない)した後に斜め読みするのが10冊に1冊。熟読するのが10冊に1冊。熟読した中で面白かったものについてはレビューを書く。購入するのは『その本が自分の中の構成要素を明らかに変えた』と感じたときに限定し、今の自分に必要なくなったと感じたら売る。

これをもう4年近くやっているのだが、あまりにも読みたい本が多すぎて読むスピードが追い付かない。移動中も昼食中も読書に費やしているのにメモに未読本が積もっていく。そのくせ自宅にいるとついネットやツイッターで遊んでしまう。

大学生の半数近くは1日の読書時間がゼロらしい。

文章の読み書きが得意な人より、コミュニケーション能力があって他人と話すのに負担を感じない人のほうが上手くやっていける世の中なのだと思う。そういう人のほうがいろんな人に協力してもらえるし、人脈を広げたり交流したりすること自体で人生を楽しめるから、いろんな意味で効率が良い。人から情報を得られるなら、別に本を読む必要はない。しかし、人と話すだけでその分の休養が必要になるようなアレルギー体質であるなら、無機物から情報を摂取できるようになっておくにこしたことはない。

自分の置かれた状況を客観的に把握し、必要なら支援制度を利用するといった場合にも、まとめサイトの無責任な記事ではなくきちんとした公的文書や書籍を読み解ける文章読解力が必要になる。そこまで深刻な状況でなくとも、例えば自己啓発本やエッセイだったらその著者が常日頃頭の中で考えていることを、生身の人間に一切対面せずにそっくり丸ごと聞き出すことができる。人間はこういうことを考えているものなのか、ということを例として知ることができる。不足しがちな栄養分を手軽に補うことができる。

だいたい世の中にこんなに本があるのに、読まないのはもったいない。ネットに落ちている無料の情報(それも手づから調べられる検索上位10件程度)など、世の中に存在する知識のほんの一部でしかない。Wikipediaの内容は素人が勝手にいくらでも改変できるし、ネットはあくまでもとっかかりのキーワードを見つけるためのものであって、きちんと勉強するための本を探す手がかりを見つけることと、あと暇つぶしくらいにしかならない(しかしその暇つぶしが楽しい)。

少なくとも子供はある程度本を読むべきだと思う。進路を決める段になってから『長文が読めないので医者になるのはあきらめます』なんてことになったらシャレにならないからだ。そして大人は、必要な人は読む必要があると思う。というより、今生きづらいと感じている人は読書を日常の中の行動の一つとして選択肢に入れてみてほしい。目が悪いなら眼鏡をかけるように、人と話せないなら本を読むという解決策があってもいいはずだ。