みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

チャックすベリー(2017年9月8日)

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 社会の窓が開いている人を見かけたときにどう対処するのがいいのか。

 前から歩いてきた人のチャックが全開だと、一瞬ビクッとする。本人的にはわざとではなく閉めるのを忘れただけなのだろうが、露出狂かもしれないという可能性が捨てきれない以上、下手に近づけない。すれ違い終わってどうやら露出狂ではなかったとわかると、「教えてあげたほうがよかったかな」などと思う。でも教えてあげたら恥ずかしさで逆切れされるかもしれないし、家に帰って気づいたとき「誰にも指摘されなかったってことは誰にも気づかれなかったんだ」と自分で自分を納得させることができる(?)から、指摘しない方が幸せなのだろうか。ただ一日中チャック全開で道を歩いていると本当に露出狂と間違われたときにかなり分が悪くなってしまうというリスクが残る。それかもしかしたらチャックを閉めると精子が死ぬ病気とかがあるのかもしれない。でもそんな病気あるんだろうか?

 他人の欠点やミスを指摘するということはとてもとても難しい。「私は人のことを咎められる立場なのか?」「自分で気づくのを待った方がいいのではないか?」「それは客観的に見ても悪いことなのか?」「怒るほどの価値がある相手か?」など、いろいろなことを考えてしまう。昼言われたことについて夜まで考えてまだつかめなくて、三日も四日も紙に書いて考えて、「やっぱりあいつの言ってることは倫理的におかしい」などと後から結論が出ても、当の本人はそんな前のことは忘れてしまっていたりする。

 怒ってばかりいる人は信用ならないし、とっつきにくいし、何より子供っぽいように私には感じられる。なので、自分が反射的に怒っているということを、プライドが認めることができない(怒っていないわけではない)。怒るという行動は計算して行使すべき手段であって、怒ることによって得られるものが怒らない場合よりも多いと考えられる状況になって初めて怒るという風にしたい。するとどうなるかというと、目をそらして口を利かなくなる。怒ることが妥当かどうかを必死に考えているので、相手の話を聞く余裕がなくなる。怒鳴り散らすよりはマシだろうが、見た目には拗ねているようにしか見えないので、結局子供っぽいということになってしまう。

 どうしても今すぐに結論を出さなければいけないときは、その時とれる行動の中で『最も誠実な行動とは何か』で考えるようにしている。自分にとってどちらが大切か、どちらを選んだら後悔しないか、その選択について他人から責められても平気でいられるかを、直感で決める。基本的にはうまくいくのだが、根拠も何もない捨て鉢状態なので、他人の利害関係と衝突するとノーガードの殴り合いになる。緊急事態以外は、なるべくきちんと考えて結論を出したい。

 で、チャック開いてるよと指摘すべきかどうかだが、別にどっちでもいいと思う。というか、迷った時点でたぶんどっちでも大差ないのだ。明らかに危なそうな人だったら迷うまでもなくスルーするだろうし、迷ったということはどっちでも結果はそんなに変わらなかったんだ。そのくらいの適当さで生きていかなければ、本当に大事な決断を迫られたときにエネルギー切れになってしまうよ。いいか、人生はギャルゲーじゃないんだ!分岐表なんか作っても…

 電車に乗っていたら、乗り込んできたリーマンの頭の上に何かピンク色のものが乗っていた。よく見ると、それはサルスベリの花だった。たぶん自然に落ちた花が偶然頭に乗ったのだろうが、スーツのリーマンが何食わぬ顔して頭にピンクの花を乗せているというのはかなり面白くて、指摘する気になれなかった。たぶん、頭に花が乗っているのを見た人は、みんなちょっとフフッてなるだろう。満員電車で疲れているたくさんの人が少し笑顔になるだろう。本人は気づいたとき恥ずかしいだろうけど。