みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

地球税(2020年10月18日)

 毎月三千円を国境なき医師団に寄付している。

 なぜ三千円かというと、周囲の人に迷惑がかからず、かつ「寄付しなければこれ買えたのにな~」などという恨みがましい気持ちにならない金額が、私の場合三千円だからだ。

 自分が寄付をしておいてなんだが、基本的に市民税や国税など決められた税をちゃんと払っていれば募金をする必要はないと思う。警察・消防・救急・図書館・道路整備等、自分では絶対できない仕事を担ってくれている人にお金が回らないとおかしいので、その点についてはそんなに疑問はない(高いとは思うけど)。

 ただ、「だったら同じような理由で、地球に対してもお金を払う必要があるのでは?」とある日気づいてしまった。普段生活している中で、国外のことを考える機会はほとんどないが、市役所や国会の運営に国民の税金が使われているなら、国際機関の運営にもお金が必要なはずで、何か私だけが知らない「地球税」というような税が存在していて、私が支払っていないだけなのではないかという気がする。

 これが事実だとしても、「毎月国境なき医師団に寄付しているから」といって未払金が免除になったりはしないだろう。それはわかっているのだが、何となく、気持ち的な意味で払っていると自分の中で納得するというか、心が安定するのだ。

 心が安定するという意味では、街頭で募金を求められたときなどにも「もう募金してるもん」と思えるのでいちいち判断を迫られずに済むというのも利点だと思う。人生の中で起きる嫌なことの総量って最初から決まっていて、だったら先に自分が把握できる方法で損失を出しておけば、予定外の不幸をある程度減らすことができるのではないか。

 ここまで読んでわかるとおり、私は完全に自分のエゴのために募金をしている。寄付というと、「砂漠に水を撒いてるのと同じ」とか「人口爆発につながる」とか言われがちだが、私はそのあたりのことを何も考えていないという点では無責任だし偽善者だと思う。

 多分、一生のうちで一度も訪れない国で誰かが助けられたって、私の人生には何の影響もない。しかし、日常の中で何か辛いことがあったとき、自己肯定感がガタ落ちになったとき「でも募金してるしな」と思えることは、実際精神の安定にかなり役立っている。

 国境なき医師団は寄付するときに使用用途を指定することができるのだが、私はあえて毎回していない。送られてくる現地レポート等も読んでいない。何に使われたのかがわからない方が、「ああ、今月も自分の三千円が地球のどこかで使われたんだな」と思えて世界が素敵に思えるからだ。募金には、生きるということ自体を肯定する効果がある。