みやけばなし

会社員やりながら高円寺でギター弾いてるやつの日記

みそ汁鑑賞(2023年1月22日)

 『孤独のグルメ』の認知度の高まりとコロナで生まれた「黙食」という言葉のおかげか、一人外食に対する風当たりは相当弱まったように感じる。しかしそれはあくまで表面的なブームでしかないようで、本質的に「一人で飯を食べるという行為が好き」というのはわからない人にはなかなか伝わらないらしい。

 

 口頭の会話というのは著しく脳のリソースを使う。相手の話を音声で聞いて即時に文字列に変更し、意味を理解した上で相手が話していることに相槌を打ち、次に話す自分の考えを体系立ててまとめ、相手にわかる表現に変換し、失礼なことを言わないようにフィルターをかけて、噛まないように発声する、これを全て同時に進行しなければならない。しかも私の脳は最後の出力の工程にバグがあるらしく、「右」と言おうとして「左」と言ってしまう等、言おうとしたことと逆のことを言ってしまうことがあるので、発声してからそれを修正することにも手間を取られる。つまり会話をするためには、ほとんど全神経を会話に集中させなければならない。

 

 これを話すと人に食事に誘われなくなりそうなので今まで誰にも話したことがなかったのだが、私は人と会話しながらだと食べ物の味がよくわからない。小さい頃親から「食事中は喋るな」と教育されたせいもあるかもしれない。食べ物を味わうためには、いったん黙っていい時間を設けてもらって、食べ物のことだけ考える必要がある。

 

 無論、人と一緒に何かを食べるという行為はそれはそれで楽しい。一緒に行動を共有する楽しみや、自分では気づけなかったことに気づけるといった発見もあるので、人と一緒に食べるのが嫌というわけではない。ただ、人と一緒の食事と一人での食事は、体験としての質がまるで異なるのだ。上司と一緒に来た店に後日一人で来て同じものを食べて「あ、こんな野菜が入ってたんだ」と気が付いたりする。

 

 みそ汁は、味噌を入れる前に具材を茹でて具材の味を水に溶け出させる工程がある。うまく作ると、大根としめじと昆布の味がお椀の中でバンドか楽団のように共鳴しているのを楽しむことができる。しかしみそ汁をちゃんと聴こうとすると、人と話しながらでは集中して聴くことができない。映画館やコンサートホールで鑑賞中にお喋りをするのが厳禁であるように、「ここは食べ物を味わうための場所なので私語は厳禁です」という店がもっとあっても良いのになと思う。