大学時代にMy Chemical Romanceのコピバンライブをした後、マイケミのこともV系のことも詳しくない人から「これってヴィジュアル系バンド?」と聞かれた。たぶん当時の私がV系ばかりコピーしていたからだろう。そのときは「違うよ、洋楽だよ」と即答してしまったのだが、そのときから引っかかっていることがある。
マキタスポーツ氏によると「ビジネスモデル」と解釈されていて(*注)、それは私もそう思う。実際V系の全盛期には「V系として出さないと売れない」という理由で全然V系じゃない筋肉少女帯までV系としてカテゴライズされた歴史があるそうなので、それは事実だ(今でもCDコーナーやサブスクのカテゴリで筋少がV系の棚に並んでいると複雑な気持ちになる)。
ただ、V系バンドの曲の中でも「この曲はV系っぽくない」「これはいかにもV系って感じだよね」というのがファンの共通認識(ゴールデンボンバーの『†ザ・V系っぽい曲†』が詳しい)として存在し、その中でも「歌詞が全部英語だとV系ぽくない」というのは何となくある気がする。
しかし洋楽なのに初見で「いやこれはV系だろ」と思った曲がある。それが今回の『Cut』だ。「紅に染まったこの俺を慰める奴はもういないじゃん」と。歌詞だけではなく、外見もコーラスもギターリフもドラムパターンも、何もかもV系っぽい。
違う。今思えば逆だったのだ。V系バンドで「The Cureから影響を受けた」と公言しているバンドはいくつもある。The CureがV系っぽいのではなく、V系がThe Cureっぽいというのが正しい。リングイネやタリアテッレやラザニアをパスタと呼んでも、パスタの元である小麦粉や塩をパスタとは呼ばないのと似ている。
その辺も踏まえながら、今回の翻訳はいつもはボーカルのロバート・スミスの印象から一人称を「僕」としているところをあえて「俺」にしてみている。前置きが長くなってしまった。言いたいことが伝わるといいのだが。
Cut/The Cure
お前がそんな風に俺に話しかけなければ
お前が聞き入るように話しかけなければ
壊れる心
落ちてくる空
情熱は冷め
友情は消える
俺が今もお前を思うように
お前も俺を感じてほしい
お前がそんな風に俺を見なければ
俺がお前を見たとき見返してこなければ
凍りつく顔
冷たい瞳
甘い噓をつく唇
俺が今もお前を思うように
お前も俺を感じてほしい
だが今はもう
お前は何も感じていない
お前は気にも留めていない
全ては終わった
お前がそんな風に俺の手を引かなければ
俺がお前といるときそんなやり方で引き寄せなければ
救いの望みを逃れた手が
意味もなくお前を求めてる
俺が今もお前を思うように
お前も俺を感じてほしい
だが今はもう
お前は何も感じていない
お前は気にも留めていない
全ては終わった
お前がそんな風に俺に話しかけなければ
俺を見なければ
引き寄せなければ
だが今はもう
お前は何も感じていない
お前は気にも留めていない
全ては終わった
訳していて思ったのだが、Doing the Unstuckのときに書いた「狂っている自分とそれを見ている自分の二つの視点があるように感じさせる歌詞」というのは、The Cure特有の特徴というより「V系っぽさ」の本質なような気もしてきた。見世物小屋感というか。いや、見世物小屋感と完全にイコールっていう感じでもないし、V系じゃないバンドでも見世物小屋感を醸し出してるアーティストはたくさんいるから、十分条件じゃなくて必要条件くらいかもしれないけど…。完全に感覚の話で申し訳ない。また何か思ったことがあったら書きます。
【*脚注】
マキタスポーツpresents Fly or Die「矛と盾」インタビュー マキタスポーツがV系アーティストになった理由 (2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー