みやけばなし

日々の記録とフラッシュフィクション

偽村竜太朗(2024年6月10日)

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私の部屋に来たことがある人は知っていると思うのだが、私の部屋の壁には有村竜太朗のポストカードが掲げてある。有村竜太朗というのは、Plastic Treeという、私が一番好きなバンドのギターボーカルである。好き過ぎて有村竜太朗に「なろう」とした。以下はその顛末である。

 

ある日、美容室にたまたま持っていった有村竜太朗の写真を見てNさんという新人の美容師さんが「おっ有村ですね」と発言した。美容師さんで有村竜太朗を知っている人に初めて遭遇してテンションが上がる。さすが高円寺、「ムックと同期くらいですよね」ということまで知っており、どうやらロック好きらしい。それまでは「今の季節ならこのくらいかな」というのをネットで調べて見本写真を漫然と持っていっていたのだが、せっかくなので本格的に有村竜太朗の髪型を目指してみようということを開始した。

 

「前髪重めのボブで、全体的に少し長めにして、襟足をウルフにするとそれっぽくなると思います」と方針が決まり、調整しながら徐々に髪を伸ばし、少しずつ髪に重みをもたせていった。GADGET GROW(有村竜太朗がモデルをしていたブランド)のコートやシャツも買ってみたりしたが、実物のロングコートはとても重くて着ていられない。そこで似ているものをメルカリや古着屋で探した。ファンクラブに入会し、著書のエッセイも読んだ。そして半年くらい経った2月、ほとんど有村竜太朗のコスプレという出で立ちが完成したところで、「ライブに行ってみようかな」と思い立った。

 

実は私はPlastic Treeのライブに行ったことが一度もなかった。大学時代アルバムを全部集めてバンドでコピーしてコピバンライブまでしたのに、曲以外の本人達の情報についてはあえて調べないようにしていた。特にライブは、自分の中でイメージが固まり過ぎていてMCでイメージと違う変なことを言われたり、パフォーマンスが思っていたのと違ったりして期待外れだったりしないだろうかと思うとライブに行けなくなってしまったのだ。好きなバンドとして一番に名前を挙げているのに実際のライブに一度も行ったことがないのもなと思いつつ、ずっと行けていなかった。

 

しかし実際にチケットを取ってライブに行ってみると、そんな心配は完全に無用だった。しぐさ、歌声、MC、音響に至るまで、想像していたとおりの有村竜太朗がそこに居た。脳内イメージと寸分違わな過ぎて現実なのか夢なのかよくわからなかったくらいだ。そこで冷静になって、今一度有村竜太朗のプロフィールをネットで調べてみた。どう見ても50歳には見えない。自分は今までここを目指そうとしていたのかと思うとあまりにもおこがましかったなと反省すると同時に、本当に美しいし大好きだけど、自分は有村竜太朗じゃないし、なろうとするべきじゃない、という気持ちがぼんやりと醸成された。

 

しばらくして春になって、あまりにも暑くて鏡の前で襟足を結んだとき、「髪、短い方が良くね?」と突然思った。それまで自分は輪郭線がブスなので隠した方が良いと思っていたのだが、出した方が潔いというか、単純に似合っているというか、自然だなと素直に感じた。

 

Nさんに「髪を短くしたい」と伝えるのには勇気が必要だったが、怒るような人ではないとわかっていたので正直に伝えた。事前に文章を考えておいたので、

「本人のライブに行ったんですが、自分は有村竜太朗じゃないし、なろうとするべきじゃないなって思って。でもそう思えたのはNさんが完全に有村竜太朗と同じ髪型にしてくれたからこそわかったことなので、ありがとうございました」

とちゃんと言うことができた。

Nさんは、

「そこまで褒めてもらったことないです。ありがとうございます」

と照れていた。私は、髪を短く切った。

 

「髪切ったんですね。短い方が似合ってますよ」という反応がたくさんあった。キックのジムトレーナーさんも、職場の人も、そして友達も一様に「短い方が似合うよ」と言ってくれて、自分の感覚は間違ってなかったんだなと思った。

 

有村竜太朗になりたいとまでは思わなくなったけど、今でもPlastic Treeの曲は大好きだし、ギターでコピーして弾き語りもしている。髪もNさんに切ってもらっている。そして意図的に真似るのをやめてから気付いたのだが、自分の心の中に、ミニ有村竜太朗みたいなのが住むようになった感じがする。あと「五十歳まであれぐらい綺麗でいたいと思ったら、お菓子なんて食べてる場合じゃないよな」という思いが強くなりすぎて、お菓子が食べられなくなった。

 

人生の中で何かに夢中になっているとき、ふと過去の夢中だった時を思い返して「今こうしている時間を未来の自分が思い返したら、今と同じように楽しかったと思えるだろうか」と幽体離脱みたいになってしまうことがある。でも幸い、「今思うと恥ずかしいな」とは思っても、「やらなきゃよかった」というほど嫌な思い出は今のところない。今の自分にとっては今までのところの人生が全部「すごく良い日々だった」と思えているから、歳を取ったらいつか黒歴史になっちゃうのかなと思うと悲しい。ずっと全部が「楽しかった」のままだったらいいなと思う。