みやけばなし

エッセイブログです

健全な不愉快(2020年7月19日)

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(お久しぶりです。三宅です。だいぶ久しぶりなので近況から書いていこうと思います。)

 あれから図書館から異動になり、現在は役所で普通の事務仕事をしている。4月から6月までは出勤日数を通常の半分にされていたが今は解除され、コロナ前と同じように週5で職場に出向いて働いている。

 半日スパンで政府の見解が更新され、飲食店が潰れ、興行施設が悲鳴をあげている。今までの人生では経験がないような動乱の時代だ。『STAY HOME』の標語が戦時中のように連呼される中で、「特別なことをしなくても、健康に生きているだけで十分じゃないか」というムードが漂ってきた。プライベートとしては出したい同人作品を一通り出し終わったところで、元々インドア派なので外出自粛も特に苦もなく、毎日何をするでもなしにリングフィット(Nintendo Switchの筋トレゲーム)だけやっている。

 しかししばらく続けていると、そうもいかなくなってきた。時間の感覚が曖昧になってきたのだ。眠ろうとすればいくらでも眠れる。休みの日は夕方16時まで寝ていて、夜中の4時まで起きていたりする。そこから6時に起きて仕事に行くので、肉体も精神もガタガタになる。「何かが変だ。何かしなくてはいけない」という気持ちが少しずつ出てきた。その中で、何が気に入らないのかについて一言で言えないか考えた。

 

「ちょっとだけ不愉快なことって、最近ないな」

 

 この「ちょっとだけ」というのは、窓口で老人に怒鳴られたり駅でいきなり突き飛ばされたりという完全な暴力ではなくて、いわゆる「解釈違い」というか、「多様性」のような何かである。

 例えば個性的な雑貨屋に行くと、美しいガラスの置物の横に「こんなの誰が買うんだろう」と思うような内臓を模したグロい灰皿があったりする。後者のようなものについて、私は「私は別に欲しくないが、これが好きな人もいるから」存在しているのだと思っていた。でもそれは違うのだ。

 映画や演劇やライブ等形式問わず何でもそうだが、表現というのは何でも自分にとっての「当たり外れ」がある。自分にとって面白いか面白くないかは、実際に摂取してみないとわからない。しかし、当たりだけを引き続ければいいというものでもない。映画を見て面白くなければ「何が気に入らなかったか」を考える楽しみがあるし、それを気に入らない自分がどんな感性をしているかに気がつくきっかけにもなる。クソ映画に莫大な費用が注ぎ込まれ、Yahoo!映画で星2をつけられても上映し続けられる社会というのはある意味健全だったのだ。

 一方TwitterのTLというのは、良くも悪くも自分好みにカスタマイズされているので、世の中のリソースから直にすくう場合よりも「快」の割合が圧倒的に多い。そして今、世の中から摂取できるのはコロナのニュースばかりで、ゆるやかな「不愉快」の総量と多様性が減っている。比較的健全な「不愉快」が得られないから、みんな自分がわからなくなって、不愉快さに対する感覚が過敏になって、芸能人を叩き殺したりしてしまうのではないか。

 小さい頃よく「外で遊びなさい」と言われた。外で遊ぶということは、基本的に不愉快である。蚊に刺されるし怪我もするし、友達とうまくいかなければけんかになったり叩かれたりする。一人で遊べば、遊び方を好きに決められるし、いじめられることもない。しかし、他人とでなければできない遊びがある。何より他人と遊ばなければ、自分にとっては何が大切か、何をすると楽しいかということを認識することはできない。

 大人になった私の部屋には、私が快適に生きていくために必要なものが一通りそろっている。そのため、コロナ前は「外になんか出たくない」「ずっと家にいたい」とよく思っていた。しかし今、外に行きたくて仕方がない。「ちょっと不愉快な目にあいたい」のだ。

 

 今後の更新では、「これを書いたら不愉快に思う人がいるんじゃないかな」という理由から前回の更新時期には採用しなかったような際どいテーマも取り上げていきます。

 また、リニューアルにあたって、コメント欄を開放してあります。ただ、私から返信はしません。返信に時間を取られすぎて本文に費やせる時間がなくなるすることを避けるためです。また気が変わったら閉じるかもしれませんが、適当にやっていくつもりなので、とりあえずよろしくお願いいたします。

三宅 ミケ