みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

ダイナマイトとアルコール(2023年6月25日)

 エネルギーが0で完全に全く起き上がれないようなときは、とにかく何か元気が出る曲をかける必要がある。アース・ウィンド・アンド・ファイアーとか、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとか。それは音楽を聴いているというより、心臓マッサージやAEDの要領で「とりあえず身体を起動させている」といったほうが近い。

 ちょっと落ち込んだときや気分が悪いときなんかは鬱々とした曲を聴くのもありなのだが、本当に起き上がれないときにはそれすらも飲み込めない。鬱になるような曲や不愉快になる作品を愉しむという行為は、ある程度心に余裕がある状態でこそ有効になってくる。

 

 昔は「鬱々とした作品を作っている人は私生活も鬱屈していないと嘘ではないか」などと考えていた時期もあった。「死にたいくらいつらい」という歌ばかり歌っているバンドマンがライブ終わりに酒を飲んで大騒ぎしているのを見て、何度も裏切られたような気持ちになったものだ。しかし今思えば、暗い世界観の芸術をやる人間こそ、正気を保つためにメンタルを明るく保たないといけなかったのではないかと思う。太ったグルメ芸人が太ったグルメ芸人を続けるために、人一倍健康に気を配る必要があるのと同じように。

 

 逆にギャグ漫画家とか遊園地のキャストとかお笑い芸人とか「ポジティブな作品だけをずっと作り続けなければならない職業」というのもメンタルが危うそうだなと思う。定期的にホラー映画を見るとか、葬式会場の空気を吸いに行くとかしないと精神の均衡が保てないのではないか。それとも、そういう職業に就くからにはずっとポジティブな要素だけに触れ続けていても精神が壊れないような「素質」があるのだろうか。

 

 ネガティブだけ・ポジティブだけを摂取し続けても病気にならないような耐性は、残念ながら私にはない。でもそれはカフェインやアルコールの耐性と一緒で、体質なのでどうしようもないのだと思う。ネガティブな芸術とポジティブな芸術どっちが好きかという問いは、アドレナリンとロキソニンどっちが好きかというのと同じくらい難しい。強いて言えば痛みは我慢すればいいんだからロキソニンの方が必要性は薄いかもしれないが、それはあくまで必要性の話だ。ヴィジュアル系の曲にいたっては「退廃美」とかいってネガティブをさらに加工して酔う方向に持っていこうとしているので、実質アルコールみたいなものだと思う。アルコールは頭が痛いときや吐きそうなときには飲めないし、生きていく上で必要がない。というより、世の中のほとんどの芸術は生きていく上で必要がない。しかしその「必要がないもの」の中にこそ、世の中が存在していることの「本質」があるような予感がする。