みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

押し入れの中のハムスター(2023年1月15日)

 買い始めた生き物を押し入れに入れたまま忘れてしまう夢をたまに見る。

 例えばハムスターをもらって、ケージに入れて買い始めたのに、お母さんに見つかるのが嫌でケージごと押し入れに入れてしまって、気が付いたら一週間経っていた。そんな夢である。

 一週間ならまだ生きているかもしれないのに、怖くて確かめることができない。そのうち時間だけが過ぎていって、1か月も経つと「ハムスターなんてもらっていなかったのではないか」「扉を開けても何もないのではないか」という楽観的なイメージと、「ハムスターはもうとっくに死んでいて腐って真っ黒になってしまっている」「あるいはガリガリになって白骨化している」という悲観的なイメージが重なったまま乖離していく。そのうち目が覚めて「夢で良かった」と胸を撫でおろす。ハムスターは本当に子供の頃飼っていたし、母親に見つかりたくないものを机の引き出しと床のスキマに押し込んだりもしていたから、その名残なのだと思う。

 

 私は性格上、もうどうにもならない過去を悔やむことはほとんどない。その代わり、今すべきことが何なのか、忘れていることがあるのではないかと不安になることがしょっちゅうある。そのとき持っていた情報と選択肢の中から、そのとき最も合理的な判断を下していれば、理論的には後悔することはない。ただいつもいつも熟考していても疲れてしまうし、「今日の昼ご飯を和食にするかパスタにするか」等、そこまで重要でもないようなことについてはわりと気を抜いている。そんなとき、「何か忘れていることがあるのではないか」とふと不安にことがある。

 

 私の頭の中には大量の電球で埋め尽くされた壁があって、外からのきっかけで何かを思い出すと該当する電球が点灯する。「ああ、こんなことあったな」と思うが、思考が他のことに移れば電球はまた消えてしまう。できるなら電球を片っ端から点検して、必要なものは常時電流が流れるように改造して、もう必要のないものは撤去してしまいたい。しかしそれはできないので、ルーティンのリストに入れてみたり、アラームをかけたり、手帳に書き留めたりという外付けデバイスが必要になる。どんなに気休めを作っても、たくさんの電球の中に、「押し入れの中のハムスター」というラベルの付いた電球があるのではないかという不安はおそらく一生拭い去ることはできない。せめて気付いた時点で、できるだけ早く扉を開けるしかない。

 

 いつもは妻が送り迎えをするが、妻が出張なので自分が幼稚園に行き、子供を引き取った。子供は後部座席で寝ていて、そのうち仕事のことなど考えながら家に帰ってくる。家について、鍵を開け、冷蔵庫からビールを取り出して飲み、ネトフリを見て、妻の帰りを待つ。そのうちアルコールも回ってこたつで寝落ちしてしまう。子供はずっと、後部座席にいる。