みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

がまくんのお手紙(2023年7月2日)

明日Twitterがなくなってしまったら、どうすればいいのだろう。

Twitterがなくなったら、社会に何かを投げかけて自己主張する場所というのが失われてしまう。あと50年は生きるとして、その間社会と何のつながりもなく、ただただ会社と家を往復して死ぬのを待つ人生なんてもったいない気がする。家族や職場等の具体的な関係ではなくて、漠然とした社会との相互作用の場が欲しい。褒めてもらいたいとか賞が欲しいとかではなく、「誰かに影響を与えたい」という欲求がある。こうしてブログを書いているのもそのためだ。

 

Twitterがなかったら出会わなかった人たちのことを考える。

あるいは、明日起きてTwitterが消滅していたらどうするか考える。

一度アカウントを放棄させられているから、影響力としては既に皆無に等しい。Twitterをすることで何となく社会に何か言っている「気になっている」状態というのが、あまり健全ではないのではないかとも思う。

 

それでもTwitterを開いてしまうのは、誰かを待っているからなのかもしれない。自分の気持ちに共感してくれた人からの反応が、以前のように来やしないかと期待してしまっている。そこから始まる新たな人間関係が、この閉塞感を打ち破って全く新しい日常へと連れ去ってくれることをぼんやりと待っている。しかし課金の有無により表示に偏重がかけられ、閲覧数すら制限され始めたTLでは声量は日に日に小さくなってゆくばかりである。

 

そもそも「この広い世界のどこかに自分を受け入れてくれる場所がある」という考えが甘えなのであって、居場所は最初からどこにもなくて、自分で作らなければいけないのだと思う。今ある薔薇を自分で育てて品種改良しまくって青い薔薇を作るように、断崖絶壁にレンガを積み上げて階段を作るように、自分で手を動かして積み上げることでしか本当に欲しいものは手に入らないのだろう。

 

Twitterをやる前は楽器屋のバンドメンバー募集のビラに適当に連絡して知らない人と遊んでいた。でもそれではうまくいかないと回数を重ねてわかったので、今からそれをやるつもりはない。それなのになぜ今ギターの練習をしているのか、自分でもよくわからない。