みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

パンツを脱ぐ日(2023年3月26日)

 厚生労働省のお達しにより、「令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本」となった。歴史の教科書なら、「マスクを空に放り投げ抱き合う人々」や「大量のマスクの在庫を燃やす薬局店員」の写真が一緒に載っていそうな出来事だが、実際には市井の人々のほとんどはマスクを外していない。

 マスクをするかしないかの判断をする際、するメリットとしないメリットを天秤にかけることになるわけだが、マスクの多少の息苦しさに完全に慣れてしまった今、マスクをしないで外出するメリットというのはほぼない。
 一方、とりあえずしておけばコロナだけではなく花粉や砂ぼこりも防げるし、咳をしている人や重症化リスクの高い人に近づくときも気を遣わなくて済む。何よりも、「銭湯に入るときパンツを脱ぐからといって、パンツをはかないで銭湯に来るようなやつは入場を断られても仕方ない」というような、マスク=常識の指標という図がまかり通ってしまった今、マスクを自主的に外すというのはかなり勇気がいる。外すためにはマスクをしない不都合を上回るだけのもっともな理由が必要であり、理由もないのにマスクをしていないとすなわち「非常識」ということになってしまうのだ。
 つまり、実際にマスクなしで外出できるようになるタイミングというのは、コロナの感染者が一定程度減ったときでも政府が外して良いと宣言したときでもなく、「今マスクを外しているような奴は頭がおかしい奴」という空気が世の中から完全になくなったときということになる。

 私は花粉症なのでどのみち今外すという選択肢はないのだが、花粉の季節が終わったらどうしようかと考えている。春になると誰からともなしにみんながコートを脱ぎ始めるように、自然にマスクをしないで外に出るのが普通になっていくのだろうか。

 正直、コロナが流行ったことで私にとって世の中は格段に生きやすくなった。飲食店のテーブルにはパーテーションが敷かれ、公共の場では「適切な距離」が保たれることでパーソナルスペースが守られるようになった。孤食文化が根付くとともに会社の無駄な飲み会もなくなったし、休みの日に家でゴロゴロしていても罪悪感がない。後遺症が残ったり亡くなったりした人が大勢いるのだから「ずっとコロナ禍でいいのに。」などと公に口にしたら叩かれるのはわかっているが、正直元の社会に戻って欲しくない。アンチ前時代行動様式を標榜するべく、みんながマスクを外してもマスクをし続けるというのもありかもしれない。