みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

脚が長いと思われたいと思っていると思われたくない(2023年11月19日)

ハイウェストのパンツを買ったのだが外に履いていくのに自意識が邪魔をする。脚が長いと思われたいと思っていると思われたくないのだ。

「こいつは自分の脚を長く見せたいと思っているんだな」と思われるのが嫌でハイウェストのパンツを履いたことがなかったのだが、いざ履いてみるとなかなか良いモノだとわかった。お腹が隠れるので冬場も暖かいし、実際脚も長く見える。
しかし、前述の自意識が厄介過ぎる。結局、上からカーディガンを羽織ることでタックインした裾を部分的に見えなくし、徐々に公開範囲を広げていくことで心を馴らしていくことにした。みんな人の服装なんか自分で思うほど見ちゃいないと頭ではわかっているのだが、体と心がついてこない。

ハイウェストの時点で多少なりとも「自分のことをかっこいいと思ってる感」がどうしても出てしまう。自分のことをかっこいいと思ってない人はおそらくハイウェストのパンツを履こうとは思わない。私は自分のことをかっこいいと思っているが、自分のことをかっこいいと思っているとは思われたくない。しかし、自分のことをかっこいいと思っているとは思われたくないという自意識がもうキモいのかもしれない。だとしたらもうどうしようもないので、開き直って好きな格好をした方が精神衛生には良いということに落ち着く。本当は第一希望としては「自分のことをイケメンだと気がついていないイケメン」になりたかった。しかしそんなイケメン存在するのだろうか??

持ち前の良さを活かすとか、無駄を省いて作為のないこなれ感とかの方向に向かえば少なくともダサくはならない気がする。しかし「いや自分はそんな柄じゃないんで…」と黒タートルネックだけを一生着続けられるほど私の自意識は保守的でもない。高円寺に住み出してから服の感覚がバグってきたので、定期的に会う人には「いつも姿が違いますね」という評価をされている。でもそろそろいい加減服装に傾向というものが欲しい。

そう言えばハイウェストの逆、ローウェストとでも言うべき作為の塊であるサルエルパンツなら学生時代履いていた。脚が短い人がサルエルパンツを腰履きするともはや膝くらいの位置から脚が生えているかのように見えるのだが、それが黒魔術師みたいなジャケットやコートの重ね着の下に着るとパンクでなかなか様になって見える(と当時は思っていた)。ライブの時はさらにそれに白ペンキやスタッズや安全ピンをジャラジャラ付けた服を着る。このくらいまでいくと「かっこいいに決まってるだろ」という潔さがあるので、見る側も安心して見ていられるのだ。

この前新宿の東横を通ったら、15年くらい前に流行ったパンク服からスタッズや安全ピンを取って上品にしたみたいなゴスロリっぽい服を10代のキッズたちが着ていた。黒の猫耳帽を被っている子もいた。おそらくトレンドが一周したのだろう。彼らはきっと「自分のことをかっこいいと思っていると思われたくない」なんて微塵も考えていないだろう。そう考えたら、ハイウェストごときで玄関を行ったりきたりしていた自分がバカバカしくなってきた。結局服なんて好きなものを着ればいいんだよな。