みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

傘のモンタージュ(2023年5月21日)

 折りたたみ傘をよくなくす。よくなくすので、いつも同じような黒い晴雨兼用の折りたたみ傘をコンビニや売店で適当に買っている。

 先日雨が降っているようないないような日にコンビニに入った。入る際に入り口の傘立てに折りたたみ傘を置いたのだが、出るときあろうことか傘を持たないで帰ってきてしまった。次の日の朝思い出して取りに戻ったのだが、取り戻して帰ってきた後、だんだん自信がなくなってきた。取り戻してきた傘が、自分のものであるという自信がないのである。

 年に数回ペースで傘をなくすので、いちいち傘の特徴を覚えていなかった。そして名前を書いたりネームタグを付けたりもしていなかったため、「黒い折りたたみ傘」ということ以外全然特徴を認識していなかったのだ。自分のものかどうかわからない傘を刺して歩きながら、「持つところはこんなに平かったか?」「骨はこんなだったか?」「こんな匂いしていたか?」など、時間が経つにつれ違和感があるようなないような気がしてきて、しまいには耐えられなくなり、コンビニに傘を返してきた。正確には返してきたというのが正しいのかどうかも不明である。

 仮に私のでなかったとしても、私の傘と似た傘をさして来た人が誤って私の傘を持っていってしまったのかもしれないし、そうならばおあいこということになる。しかし、その人が私よりも繊細で「これは自分の傘じゃない」と気付いたならば、その人は濡れて帰ったかもしれない。だとしたら申し訳ないことをした。傘の写真をコンビニに貼り出して「この傘知りませんか」と持ち主を探すわけにもいかない。どうしようもない。

 

 傘を盗む人の言い分として、「俺が盗んだとしても、盗まれた奴はまた他の奴のを盗めばいい」という暴論を聞いたことがあるが、自分がそれに縋ることになろうとは思わなかった。とはいえ、「これからは持ち物の一つ一つに名前を書いて意識を配るぞ」などというのも、なかなか脅迫的で異常な気がする。

 だいたい今までももしかしたら気付いていなかっただけで、他人の似たような傘を取り違えていたことはあったのかもしれないし、もう忘れようと思う。「身近な人が知らない間に別人に入れ替わっている」という妄想を抱く病気があると聞いたことがあるが、悪化したらそれになりそうでこわい。いやしかし、本当に入れ替わっていたとして気がつくだろうか?昨日隣の席の同僚がどんな服を着ていたかも覚えていないのに?まぁそうでなくても人間の細胞は新陳代謝でどんどん入れ替わっているわけだから、あまり深刻に考える必要はない。同じ人を愛し続けていると思っても、細胞で見たら数年後にはほとんど別人なのだから。