子どもの頃から、空を飛ぶ夢を見ることが多い。現実から逃げたいことの表れだというが、本当なのだろうか。
飛び方はだいたいいつも同じだ。私は傘を持っていて、外では強い風が吹いている。外で傘をさして、高くジャンプしたときにちょうど強い風が吹くと、遠くに流される。飛ぶというより滑空に近いかもしれない。あまり高くジャンプしすぎると、雲の上まで飛んでしまったりして落ちるときの速度が上がりすぎて危険になる。建物にぶつかったりしたら死ぬかもしれない。
何回もジャンプしてちょうどいい高さでジャンプできるように練習する。建物内の通路のような場所でも多少は滑空できるので、少しの移動でも滑空を使って移動したほうが速くて楽しかったりする。
飛んでいるとき、周りの人は私に無関心のように見える。しかし私は地面を歩いている人を見降ろして得意になっている。
目が覚めるととても悲しくなる。飛べて当たり前だった状態から飛べないのが当たり前の世界に戻ってきてしまったということが悲しい。家の玄関から出て階段を降りようと下を向いて、「ここから跳び上がって降りたほうが滑空できて速いな」と身体が言う。危ない。
個人的につらいことがあった日の夜に見た夢で、とても印象深くて忘れられない夢がある。
平安貴族のような人達と一緒に、屋敷でボードゲームのような遊びをして遊んだ。そこの人たちはみんな嫌なことを言わなくて面白くて、私は心から笑って存分に遊んだ。
帰り際に「ありがとうございました。本当に楽しかったです」と言ったら、貴族の中の偉い人(?)が「君がつらそうにしていたから呼んだんだよ。つらいことがあったらまたいつでも来なさい」と言ってくれて、
そこで目が覚めた。
眠っている時に見た夢が楽しすぎると、起きるのが嫌になってしまうのが常だが、その夢の時は頑張ろうと思えた。
それからその夢は見ていない。(覚えていないだけかもしれない。)
夢を見ている最中に死んだらどうなるのだろうと思うことがある。
夢を見ているのは脳だから、脳が機能停止した時点で、普通に起きていた時に死んだのと同じ場所に意識が移動するのか。それとも意識は夢を見続けるのだろうか。
後者なら、楽しい夢を見ている最中だったら死んじゃってもいいかなと思う。
でもそんなことを言ったら夢の中の人たちが悲しむような気がする。
たぶん、死んだあとにいろいろなことがわかるのだろう。