みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

バックラッシュとクーラー理論(2023年5月14日)

今年に入って、ネットでもリアルでもLGBTに対するヘイトスピーチを目にする機会が一気に増えた。ポリコレ配慮による有名作品の原作無視改変や、誰のためなのかわからないLGBT法案、女性の安全を無視したジェンダーレストイレ等へのバックラッシュ(反発)なのだろうが、どれも全く望んでいない当事者からしたらいい迷惑でしかない。

無論、これまで活動家の人たちが地道に活動してきたおかげで良くなってきたことの方が多いと思う。同性婚の法制化に賛成する人の数は年々増えているし、結婚や出産を強制する同調圧力も昔に比べたらだいぶ緩和されてきた。ただ、「自分の周りにはいない」「だから叩いても構わない」と思っている人からすると、可視化されることでギャグとして扱えるテーマが一つ減るわけで、それ自体が面白くないという不利益がある。「同性婚は同性愛者にとっては素晴らしく、そうでない人には日常が続くだけ」というスピーチがあったが、あれはちょっと違う。

人が何かを笑い物にしたりバッシングして気持ち良くなりたいと思ったときには、いかに「不謹慎」という謗りを受けずに済むかという基準でテーマ選びがなされる。LGBTを叩く人も、自分の周りにいないから叩いても反発を受けずに同意が得られると思っているのだろう。しかし、普段からそういう振る舞いをしている人は当事者から煙たがられるので、結果的にその人の周りから本当にLGBTはいなくなり、最終的には現実が発言と一致するという奇妙な状態になる。

そういう状態の人に急に人権を持ち出しても、「あいつらは俺達とは違う」「あの人は変わってるから」と線引きをし直すことで、今まで通りの差別を続けるという安易な選択が取られがちだ。そして当事者の側もそれに呼応するように「あの人は差別主義者なので話を聞く必要はない」「何の不利益もないのに何で反対するのかわからない」という頑なな構え方をしてしまう。お互いに相手の立場を理解しようとしないで自分の主張ばかり推すから、一部の人が暴走して誰のためかわからないようなことばかり起きているのではないか。

今が「差別しちゃいけません」の時期だとすると、最終的には「まぁ存在はするよね」くらいの受け入れ方をしてもらえれば、それが妥協点としてはちょうど良いのではないかと思う。現状の娑婆で弾丸が飛び交っていて生きていけるような環境にないのだから、外界の情報をシャットダウンしてとりあえず死なずに存在しているというだけでも十分世の中を変えるのに貢献していると言えるだろう。大切なのはどんな活動をしたかではなく、誰の役に立っているかだ。

地球の温暖化が進んでいる中で、とりあえず自分が生きていけるようにクーラーをつけて生活している。クーラーは温暖化を加速させる方に働くとわかっていてつけている。クーラーをつけなかったら熱中症で死んでしまうし、クーラーをつけて窓を開けたからといって温暖化が解消されるわけでもないので、クーラーをつけて窓を閉め、せめて自分の部屋だけは生きていける環境を整え、余裕があったら誰かを招いて一緒に住むという風にした方が結果的に生きていける人の人数は増える。そうして生き延びた上で、さらに余裕のある人が温暖化について考えたらいいと思う。これを勝手に「クーラー理論」と呼んでいる。夏の暑い日に無理に窓を開ける必要はない。私の夢は温暖化の解決ではなく、クーラーを作ってクーラーが効く部屋の環境を整え、窓を閉め、部屋に人を呼ぶことである。