みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

ペッパー君のけん玉(2023年11月12日)

先週のブログで成長することの楽しさを説明するために美しいものをくさしてしまったのは良くなかったなと思い返した。美しいものは美しいというだけでエネルギーがあって、存在する意味や価値があるのだから、成長することの楽しさと比較できるようなものではないのに、良くないことを書いたと反省している。

自分が今やっていることの共通点を考えると、「肉体を鍛えること」に行き着く。頭ではわかっていても肉体がついてこないような動きを何度も何度も繰り返して、その動きができる筋肉や神経を張り巡らせている。

ロボットのペッパー君にけん玉を練習させると、最初は失敗ばかりするが一度成功してからは全く失敗することなく何度も成功を繰り返せるという。成功するまで様々な腕の振り方を試して、成功する動きのパターンを見つけたらそのパターンで固定すれば毎回成功を再現できるらしい。人間の練習にも同じプロセスは存在するが、人間の場合そもそもその動きをできるだけの筋肉がなかったり、筋肉があっても脳で思い描く動きを肉体が再現できなかったりするので、ロボットよりも時間がかかる。しかし、その筋肉を微調整するためのラグがあるところに面白さがあるのだと思う。

ペッパー君はロボットなので、改造したりしない限り関節の可動域が勝手に広がったりはしない。それに対して人間の肉体は、毎日少しずつストレッチ等をして関節を柔らかくすることができる。すると、最初は腰の高さくらいまでしか上がらなかった脚がやがて肩まで上がるようになり、訓練次第では自分と同じ身長の人の頭に蹴りを入れられるようになる。現在のスペックでは再現不可能なモーションを入力し続けることで、スペック自体が拡張してある日突然できるようになるのだ。これはものすごく面白い。この肉体の成長性というものが、人間にあってAIにない特長なのではないかとすら思っている。


穿った見方をすれば、この肉体の成長性を備えたロボットがあったらめちゃくちゃ最強なのだろうか。例えばアメーバのような可変性の高い素材で作って、何度も何度も同じ動作を繰り返させることで窓に穴を開けてみたり、空が飛べるようになったり、物を浮かせられるようになったりという「できるようになる」ロボットがいたら、と考える。しかしそれは果たして成長と言えるのか?選択可能な範囲で材質のパターンを選択して硬度や密度を調整して自らを作り替えることができたとしても、それはやはり当初のスペックで「できること」の範疇でしかなく、ペッパー君のけん玉と変わらない。人間が成長できるのは食物という形で栄養素を摂り、頻度の多い動作に合わせて必要な筋肉や脂肪を取捨選択する「代謝」を行っているからだ。「じゃあ外界から材質を自ら取り込んで形質を変化させられるようにしたらどうか」とも思うのだが、そこまでいくともうロボットじゃなくて生物なんじゃない?という疑念が出てきてしまう。

こうして考えてみると、「人間がAIに勝てる分野はあるのか」という問いに対しては、生物の特徴である①細胞壁で隔てられている②自己複製を行う③動的平衡を保とうとする の辺りから攻めるのが良いのではないかと思う。このうち②はもうワームとかがあるから必ずしも生物だけの特徴とは言えないかもしれないが、①外界から隔てられている肉体があることでアイデンティティが生まれ、③その肉体を維持しようとする過程で代謝を行い環境に合わせて自らを変化させることができる、この2つは今も人間がAIに勝てている点なのではないか。

冒頭で美を意味もなくくさしてしまったことを謝ったばかりなのに、またAI下げをしてるみたいな文章になってしまった。今回は下げているのではなく比較のために持ち出しただけなので許して欲しい。ペッパー君ごめんなさい。