みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

醜さの海と灯台(2023年9月17日)

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

「人間は元々醜いものなので、入れ込み過ぎない方が良い」という考えが自分の中にずっとある。それと同時に、矛盾する様だが「娑婆って本当にくだらねぇな」と愚痴り合える友達が欲しいという気持ちも同時にある。

ここでいう人間の醜さというのは、『もしも君が泣くならば』の「人間なんて誰だって駄目なんだ」的な、ともすれば魅力に転化できる個人の欠点や怠惰さのことではない。同調圧力やリンチ等、もっと本当にどうしようもない集団としての人間の愚かさを指す。

「人間の醜さを鮮烈に描く」みたいな作品は世の中にたくさんあるが、それもあくまで作品として楽しめるように味付けされた姿であって、本物の人間の醜さはお話にもならないし見ていてもただただ不快なだけだったりする。人によってはそれすらもエンタメとして消化されるらしいが、自分はできればそういうものとは極力関わらずに生きていきたい。

近年の若者世代は中国では躺平主義(タンピンしゅぎ)、アメリカではDoomer等国によって呼び名は違えど等しく未来に絶望し、これまで当たり前とされてきた就職・結婚・出産・車や持ち家購入その他諸々から「降りる」動きを見せているらしい。
結婚せずに年をとっていくことへの不安の根源はひとえにロールモデルの少なさにあるのだと思うが、結婚しない人の割合が増え、呼び名までつけられ始めたことでその思想は徐々に市民権を得つつあるようだ。

私の場合はそこまではいかないが、「平均的な世の中というのは生きにくいものであり、そのために自室くらいは快適で呼吸ができる空間にしておきたい」という思想がある。
世の中そのものを良くすることはもう諦めていて、とりあえず自分が死なないように生きることを考え、今日も死ななかったということをこうしてブログに書いている。それは無人島で砂浜にSOSを書くような行為に見えるかもしれない。しかし実質としてはどちらかというと「ここに島があって人がいますよ」という意思表示が目的で、星の王子さまの点灯夫のような、灯台に灯をつけるような気持ちでこのブログを書いている。私自身もそういった心境で書かれた個人ブログが好きで、たまに人の部屋を覗くような気持ちで巡回したりしている。

あそこに星があって、今日は光ってたからあの人はまだ生きているみたいだとか、そのくらいの光でもそれがいくつも無数にあればいくらかの支えにはなるのではないか。人間嫌いの私がブログを書いているのは、そういう理由からである。