みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

ヘドログレーの憂鬱(2020年10月25日)

 一人暮らしを始めたとき、自分で風呂場の排水口を掃除するようになって、「自分からこんな汚いものが出ているのか」と驚いた。それまで家の排水口を掃除したことがなかったわけではないのだが、何となく家族も使っている風呂場だから実感がなかったのだ。それが自分ひとりで使っていても同じように汚れるというのが、割とショックだった。

 排水口のヘドロというのはいつも同じ色で、肌色と灰色の中間のような何とも言えない気色悪い色をしている。確かに自分の肌の適当なところを指でこすると似た色の垢が出てくるので、この色は人間の本質的な色なのかもしれない。政治運動や音楽フェスを上から撮った写真で、人間が無作為にわらわら集まっているのを見ても、同じような色に見える。人間なんて本質的にはそんなに変わらないんだなあと思う。

 排水口を見ていると、「生命は美しい」とか「肌本来の美を引き出す」とかいうのは本当なのか疑わしくなってきてしまう。どちらかというと、「放っておいたらどんどん醜くなってしまうのを、何とか見られるレベルに形状を留めている」という方が実感に近い。

 つまらない仕事や役所の空気、老人ホームに流れている陰鬱さは、色に例えると排水口のヘドロの色をしている。私はこういった色があまり好きではないが、リアルな人間の性質そのものをエンタメに昇華している作品も世の中にはある。人間がエンタメやオシャレを頑張るのは、この元々の人間が持つ醜さから遠ざかったり捉えなおしたりする試みなのだろう。