みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

サマータイムマシン鶏胸肉(2023年11月5日)

美しいものって結局はただ美しいだけだし、言ってしまえばそこにあるだけだ。もう既に美しいものとか、有名な人や偉い人が何かしてるのを見るとかじゃなくて、自分が昨日より少しだけ何かができるようになるってことの方が最近ずっと楽しくて「生きてる」って感じがする。

「努力しても才能がある人には敵わないから無駄だし、今からどんなに努力しようがプロにはなれない」みたいな考えが頭をよぎることもある。どの分野でも、「プロの壁」みたいなものがあると思う。その道の一流の人々の歴史と文化を知り、人気のアーティストの作品は抑えて自分なりの感想を持ち、基本となる動きはマスターしている、そして同じ趣味を持っている仲間がいて、自分はそれが好きだと公言して周りにも知られている、みたいな。人間の歴史が長くなってインターネットという情報収集ツールが発達したせいで、プロとして認められるために頭に入れておかないといけない知識が膨大になりすぎたのだと思う。
例えばエレキギターを弾いてYouTubeにアップしたいと思ったとき、何で古今東西のロックの歴史を念頭に置いて演奏しないといけないんだという反感がある。下手くそなギターをあげると実際にそういうコメントがつくのだ。先輩のギタリストも「もっといろんな曲聞いた方がいいよ」などと言う。そんなことはどうでもいいではないかと思うが、評価する側の偉い人からするとどうでも良くないらしい。

今思えば、少なくとも私には、聴く曲の数や質なんてどうでも良かったのだ。どのみち自分が好きだと思える曲は、ごく限られているのだから。偏執的に狭い好みのフィルター内でやりたいことを見つけていく、それで何の問題もない。たくさんの曲を聴かないと上手くなれないよというのは、「好き嫌いしないで何でも食べないと大きくなれないよ」と同じくらい漠然としたアドバイスだと思う。実際のボディビルダーは鶏胸肉とプロテインばっかり食ってるというのに。

 

高校や大学のときの自分は、今考えても方向性は何も間違っていなかったと思う。周りの玄人気取りの御託なんか一切無視して、V系が好きならV系のギターだけ一生練習していれば良かった。ただ、「自分のために最高の曲を書いてくれる人が世界のどこかにいるに違いない」などという甘えた希望を持って他力本願になってしまった上に、周りの「いろんな曲を聴かなきゃ」なんてアドバイスを気にして「いろんな曲を好きになれない自分はバンドに向いていないのではないか」と気に病んで、実際周りからも全然評価されなくて、周りに当たり散らした挙句自暴自棄になってやめてしまった。でも別に、V系が好きならV系だけやってりゃ良かったんだよ。その代わり、吐くまで鶏胸肉食って筋トレしなきゃだったんだ。

学生時代のことを思い返すと、一番幸せだったのは友達といたときでもライブのときでもなく、「夏合宿の夜誰もいないベランダで生音でベースの練習をしていたとき」だったなと思う。その気持ちをもっと大切にすれば良かった。気がつくのにとんでもなく時間がかかってしまったが、その分は今からでも取り返していくつもりだ。