みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

虫の呪い(2023年11月26日)

洗濯物を取り込んだときカメムシが付いていると「うわっ呪われた」と思う。カメムシがくっついていた服はカメムシを払った後もカメムシ臭さが残るので、洗濯し直しになる。せっかく洗ったのに、とがっかりした気持ちになる。

先日友達と北海道旅行に行った際、友達が草むらの遠いところに誤ってブレスレットを落としてしまうということがあったのだが、そこが一段低まった深い草むらだったため、いろいろ考えてしまった。「草の下に水路があって落ちたりしないか?」「ヘビやヒルやマダニがいるのではないか?」「服が泥で汚れたら洗う場所がないしレンタカーに座れなくなるのでは?」「水路に落ちたり虫に噛まれたりした結果、旅行に支障をきたしてかえって迷惑をかけるのではないか?」いろいろ思い浮かんだリスクの中でも最も怖いと感じたのがマダニだった。マダニは一度噛まれると食い込んで取れなくなったり、感染症をうつされるリスクもある。自分で取れない位置(首筋とか)にマダニが食い込んで病院送りなどという事態は絶対に避けたい。そんなことを考えていたら、結局ブレスレットは取りに行けなかった。

自分が「虫がこわい」と感じるときというのは、虫自体の造形が不快というよりも虫が病原菌や汚れや臭いなどの付加損失(付加価値の逆)を引き連れて近付いてくるのが恐ろしいらしい。らしいと書いたのは、そういう意味では一番脅威なはずの蚊(マラリアや肝炎等)に対してはあまり怖いと思っていないからだ。小さい頃から刺され過ぎて慣れてしまったのだと思う。幼児の頃都心から片田舎に引っ越してきて外遊びに放り出された初日は、蚊が怖すぎてそこら中叩きながらパニックになって泣いていた。それも蚊そのものがこわいというよりは、蚊に刺されると肌に痕が残る→痕は死ぬまで永久に残るかもしれないという、損失の永続性に対する恐怖である。今はそんなことないが、子供の頃は肌を虫に一箇所刺されるだけで「もうこれ一生治らないんだ」という絶望的な悲しみがあった。蚊に刺された程度の虫刺されならしばらくすれば治るし、感染症にかかるリスクも日本にいるなら極々低いものだと理解すればどうということはないのだが、子供の頃は経験が少ないのでわからなくても無理はない。

こういった虫が引き連れてくる不利益は、「呪い」に近いものがあると思う。虫を瓶にたくさん詰めて共食いをさせると最後に残った一匹に毒と呪いが凝縮されるという「蠱毒」の概念はオタクの教養としてよく槍玉に挙げられるが、このような発想が生まれるのも虫自体に呪いのような力が内包されているからだろう。家をボロボロにするシロアリ、薬剤に耐性を持つ南京虫、集団で押し寄せてきて農地をダメにするバッタ等は本当に生き物というより「呪い」という感じがするし、こうやって羅列しているだけで縁起が悪い。

ただこれは人間の側から見た印象であって、虫の側からすれば人間の方がずっと大きいし、手を上げてパチンとやられれば一瞬で殺されてしまうのだから人間の方が強いということになるのだろう。
そして人間は人間で殺虫剤や農薬を使うので、虫は虫で「あの縦に長いでかい生き物は呪いのような力を使う」「あれが来てからこの辺りの草むらは呪われてしまった」と思っているかもしれない。