みやけばなし

日々の記録とフラッシュフィクション

君は愛の中にいる(2024年6月16日)

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投げ捨てられた愛はどこへ行くのだろうと考えることがある。

 

上の写真は、今日新宿の伊勢丹横の停車場で見つけた薔薇だ。誰も注目していなかったので、写真に収めた。造花(木?)の植え込みにこれだけ生花がいたので非常に目立っていた。おそらく誰かがいらない薔薇をここに刺したのだろう。何て酷いことをするんだろうと思う。

 

都会では花束やプレゼントが捨てられている光景というのは珍しくない。駅のゴミ箱に捨てられているのを見たこともある。持って帰るのも嫌なほど憎い相手からもらったのだろうか。

 

ここでちょっと衝撃的かもしれない懺悔をさせてほしい。私は職場でもらったお菓子を、食べないで家に持ち帰って捨てている。女性が多い職場だから仕方ない部分はあるのだが、クッキーだの飴だのを無差別に配る人が複数名おり、その人達がそれぞれにお菓子をくれるので、全部食べているとカロリー収支がめちゃくちゃになってしまうのだ。それが嫌になって食べずにカバンに移動して持ち帰るようにしたら、「友達でもない人からもらった、美味しくも身体に良くもないお菓子」を胃に入れる理由がわからなくなり、食べないで捨てることが習慣になってしまった。 出向先から帰ってきたりした日には、机の上はクッキーの山である。とても独り身が食べきれる量ではない。かと言って小心者の私は「いりません」と断ることもできない。正解がわからないのだ。

 

 

フランツ・カフカの大好きなエピソードがある。

 

ある日、カフカが恋人のドーラといっしょに公園を散歩していると、ひとりの少女が人形をなくして泣いていました。カフカは少女に声をかけます。「お人形はね、ちょっと旅行に出ただけなんだよ」
 次の日からカフカは、人形が旅先から送ってくる手紙を書いて、毎日、少女に渡しました。
 当時のカフカはもう病状が重くなってきていて、残された時間は一年もありませんでした。
 しかし、ドーラによると、小説を書くのと同じ真剣さで、カフカは手紙を書いていたそうです。
 人形は旅先でさまざまな冒険をします。手紙は三週間続きました。どういう結末にするか、カフカはかなり悩んだようです。人形は成長し、いろんな人たちと出会い、ついに遠い国で幸せな結婚をします。
 少女はもう人形と会えないことを受け入れました。

(『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』より)

 

一般的にはこの話は「カフカが別の新しい人形を少女に渡し、『愛したものは形を変えて戻ってくるんだよ』と伝える」という結末に改変されて普及している。

 

…本当にそうだろうか?少なくとも自分には、今まで人間に与えた分の愛が、収支きっちり返ってきているとは到底思えないので、カフカの元の結末の方がしっくりくるのだが…

 

しかし、形を変えて返ってくると思えば、そんなような気もしてくる。あるいは、自分がこれまでもらっておいて投げ捨ててきた愛もたくさんあることに気付く。そして有り余るほどの幸運の中で自分が死なずに生きてきたことを順々に思い出す。だとしたら、今生きている人はみんな(人間とは言えないような人でも)、返ってきた愛の中に生きていると言えるのではないか。

 

悪い夢から覚めると、毎朝何事もなく目が覚めること自体がそういえば奇跡だった、と思い出す。体に管が繋がっておらず、殴られたり蹴られたりすることもない今の生活は、決して当たり前ではないことを思い出す。愛は形を変えて返ってくるのかもしれないし、そもそもあの薔薇はたまたま花束から落ちたのを拾った誰かが植え込みに刺しただけかもしれない。そんな風に考えてみたところで、人間になれる気は全然してこない。少なくとも、自分にはそれを語る資格があるとは全く思えないことが問題なのだと思う。