みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

愛(第1類医薬品)(2023年7月30日)

ロキソニンは痛みになら大体なんでも効くのでとても重宝している。ロキソニンとは、45分という即効性、どこの薬局でも安価で売っている、若干胃に良くない(大量の水で飲めば胃が痛くなったりしない程度)以外ほぼ副作用なしという無敵の鎮痛剤である。休日に画面を見過ぎて頭が痛くなってしまったとき、ロキソニンを飲んで寝ると良くなるのでついやってしまう。食べないで飲むと胃に良くないし、昼や夕方に眠ると睡眠のリズムも乱れるので本当は望ましくない。

 

そもそも鎮痛剤には痛みを抑える効果しかないので、痛みの根本原因の治療にはならない。火災報知器のスイッチを切るように痛みの伝達を遮断しているだけなので、ロキソニンを飲んでも虫歯は治らないし、傷の治りが早くなるわけでもない。痛みを一旦抑えてもらった隙に病院に行ったり睡眠を取ったりという根本的な解決に動く、そのための余裕をくれるのが鎮痛剤だ。人の自助努力を信じて目の前の苦痛だけを取り除く薬。鎮痛剤は「愛」を塊にしたような薬だと思う。

 

それなのに、いやしかしそれゆえに、鎮痛剤は濫用に繋がりやすい。頭痛を止めるために毎日鎮痛剤を飲んで重病を発見できずに放置してしまう、歯医者に行きたくないので鎮痛剤で誤魔化し続けて虫歯が進行してしまうなどのリスクがある。鎮痛剤があまりにも優しいので、人間の側がその優しさにつけ上がってしまうのだ。

 

冒頭の私も例に漏れずロキソニンを濫用してしまっている。ロキソニンがこの世に存在しなかったら、土日ぶっ続けで『ゼルダの伝説ふしぎの木の実大地の章/時空の章』をやったりはしないだろう。だがそんな言い訳は「お前が甘やかすから俺がこうなるんだろ」というドメスティック・バイオレンス的思考に他ならない。ロキソニンはそんなことのために作られた薬ではない。医者から「胃の入口に炎症がありますよ」と言われたこともあるし、依存を招かないためにも無償の愛とは用法・用量だけでなくその目的も踏まえて正しく付き合いたいと思う。