エッセイというものを、私は軽蔑していた。
エッセイは、学がなくても書ける。何も調べなくても書ける。
「STAP細胞はある」と、学術書で言ったら詐称になるが、エッセイの中でいくら「STAP細胞ある気がするなあ」と言い続けても、だれにも怒られない。
えんえんと愚痴を書きつらねて、それを本にして売って、金を稼いでいるようなものもある。
だから図書館で働いている私は、「エッセイは最も価値のない本だ」と思っていた。
ここまでエッセイをこきおろしておいてなぜエッセイブログを書くかと言えば、私は恐ろしく忘れやすいからである。どこかに文章で残さなければ、昨日考えていたこともろくに覚えていない。思想の体系をまとまった形にしておくことができない。
これを読んで人にどうなってほしいということは、私は求めることをしない。しかし、エッセイほど人間のナマの精神に近い形式はないと思う。心の中で考えていることの移り変わりをそのまま見るということは、ほかにはない体験だ。
エッセイは誰でも書けるしダサいし読んでも身にはならないが、生活する心持ちの参考くらいにはなるかもしれない。読んでも意味のない文章、それでいて読んだ後に「読まないよりはよかったかな」と思えるような文章を書くように心がけます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。 三宅