みやけばなし

日々の記録とフラッシュフィクション

ブラック・ブラック・ホール(2017年12月22日)

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 本気で人を殺したいと思ったことがない。殺しても社会的な制裁が全くなかったとしたら殺したかった人はいるが、人生棒に振ってでもこいつは殺さなくちゃダメだというような奴にはお目にかかったことがない。

 小説やニュースで見る限り、私が人を殺したことがないのは単に運が良かったからに過ぎないのだろうと思う。羅生門みたいな殺さなければ生きていけない環境でもないし、親に対しても『今こいつを殺すより成長するまでおためごかして金をむしれるだけむしり取ってやる方が良い』と踏みとどまるだけの心の余裕があった。『殺して何年か豚箱に入って前科がついてでもこいつを殺した方が自分の人生がマシになる』というシチュエーションがあったら殺していたかもしれないと思うのだ。

 ただ、義憤というものだけは本当にわからない。たくさんの人を殺す人がいる。しかしその人の罪とその人が死ぬべきかどうかというのは、私には全然別の問題であるように感じられる。悪名高い政治家が死んだときに仮装して喜ぶ民衆の様子が新聞に載ったりするが本当にわからない。どんなことをした人であっても、死んだということが重すぎて笑ったり喜んだりする余裕が私にはない。

 何となく、普通に元気で活動している人を無理やり殺してしまうと、殺して倒れた人が今まで立っていた空間にブラックホールのような穴があいてしまうような気がする。人がいなくなった部分に引力を持った真っ黒い穴が現れて、そこから世界が崩壊してしまうような気がする。でもきっと実際に殺してみたらそんなことは起こらなくて、『え?そんな人は最初からいませんでしたよ?』という顔をしてそのまま世界が存在し続けてしまうのだろう。行動したことに対して起こる反応が薄すぎる。想像しただけであまりにも恐ろしい。