みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

わたしはしわたし(2017年3月10日)

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 橋を渡るとテンションが上がるのはなぜなのか。上がらないという人には意味が分からないかもしれないが、「あ!今どこでもない場所に自分はいるぞ。地面に足がついていない、どの住所でもない『空中』のような場所にいるぞ」という気分になる。年が明ける瞬間にジャンプして「年明けは地球にいなかった」と言い張るのと、原理としては同じだと思う。国境になっている河がどちらの国の領土でもない、というような。

 私は橋が好きで、階段も好きなので、橋と階段が組み合わさっている歩道橋というものが大変素晴らしいものに思える。今住んでいる街には一押しの歩道橋がある。だから住み着いたというほどのことでもないが、一因としてはある。もうすぐ桜が咲く時期だが、その歩道橋からは、街の桜が一望できるのだ。

 橋は昔から、境界であるとされている。

 「お前は橋の下で拾ってきた子供だ」という悪い冗談があるが、摩訶不思議なものとしての生命があの世的なところからやってくる場所として『橋の下』という設定があるのはその暗喩なのかもしれない。らしい。

 橋を渡り始めた瞬間、自分が中途半端などこでもない場所にいることが感じられて非常に居心地が良い。いろんなシチュエーションで言えるのだが、AかBどちらかのグループに入りなさいとか、学校ではどこかの仲良しグループに入ってうまくやっていきなさいとか、そういうきっぱりした強制がされず放っておかれるということが私にとってはちょうど良くなることが多い。

 橋がないとみんな困ると思う。私は橋のようなものだと思う。だから、私がいなくなるとみんな困ると思う。そういうことになっている。