みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

1秒感チャレンジ(2017年7月28日)

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    名前がある行為なのかわからないのだが、「ただ、1秒1秒が過ぎていくのを感じる」というのが好きでよくやっている。アナログ時計の秒針を見ながら、特にほかになにもせず、「ああ、時間が過ぎていってるなあ」とだけ感じていると、生きてるなあと思う。

 時間の無駄といえば無駄なのだが、時間を何かのために使わなければならないなんて誰が決めたのか。むしろ、何もしていない時間こそが純粋に「生きている時間」なのではないか。

 この「時間が流れていくのを感じる」ごっこは、中学の時に初めてラジオを聞いたときの「ラジオを聴いている人と発信している人と私は、今同じ時間を共有している!」という感動に端を発する。今1秒経った、その一秒を、西川貴教アジカンもマリリンマンソンも(どこで何をしているのかはわからないが)同じ地球上で一秒として通過したのだ。これはものすごいことだ。

 そんな風に考えると、一秒一秒がものすごく壮大に感じられてきて、「今生きてるなあ」というだけになる。細かいことがどうでもよくなってくる。どうせ死ぬまでこんな感じで1秒1秒が過ぎていって、死んでしまうんだ。何をしたとかしてないとか、大事なことだろうか?

 もちろん、死ぬまでの全部の時間を秒単位で感じ続けることは不可能だ。でも、やったことがない人はぜひやってみてほしい。時計を見て、秒針を見て、1秒が過ぎるのを見てほしい。このブログが存続してる間くらいなら、たぶん私はまだ生きているだろうから、あなたが目撃したその1秒は私にとっても同じ1秒だ。すべてのものは時間を共有している。そのことだけ見ても、全く無関係なんてことはない。