みやけばなし

高円寺でギター弾いてるやつの日記

教えようとしても覚えられない(2020年12月20日)

 人に何かを教えてもらうとき毎回思うのだが、「何かがうまくできる」ということと「人にわかりやすく教えられる」ということは全く別のスキルらしい。

 バイクの教習所でいちいち一言多い教官が担当についてしまい、なかなか実技が伸び悩んでしまった時期があった。教習所の教官というのは、たかが運転が上手いというだけで何であんなに偉そうなのか?おそらく長年「教官」「先生」と呼ばれ続けて性格が歪んでしまうのだろう(そうではない例も多いのだが)。

 仕事場の上司でも同じだが、「仕事の立場上指示を出す側」というだけで何故「偉そうにして良い」「仕事に無関係なことでも説教して良い」と判断するのかが私には全然理解不能である。仕事場の一歩外に出れば、Word/ExcelのスキルからSNSの使い方、最近の流行等若手職員の方が優れている点などいくらでもあるのに、ただ仕事上偉いというだけでえばっていると、困ったことがあっても助けてもらえなくなる。そういうリスクをわかっているのだろうか。

 よく「人に教えられないのは理解していない証拠」というが、必ずしもそんなことはないと思う。人に教えるのが下手な人は、単に「理解できない人の気持ちを想像できない人」であり、つまり「頭の回転が早く何でも覚えられる人」なのだ。一方の私は興味のないことは本当に覚えられないので、仕事場で教えられたことは逐一マニュアルにすることにしている。もし明日私の机がパソコンごと火事で全焼したら、私はほとんど何の仕事もできなくなってしまう。

 たまにとてつもなくマニュアルを作るのが下手な人がいるが、もしかすると「自分が忘れても何とかなるようにメモを作る」ということ自体が、記憶力が悪い人間の特殊技能なのではないか。逆上がりができる人ができない人に教えるのが難しいように、忘れていない時点から「忘れた自分」を二重思考してメモを残すということは、記憶力が良くてメモを必要としない人にはなかなかできない芸当なのかもしれない。